大阪城の美しい緑の屋根をよみがえらせた、驚きの屋根修理とは

大阪城の屋根材は?

古くから、商都・大阪のランドマークであり続ける大阪城。美しい緑の屋根がそのシンボルになっていますが、この屋根は何でできているかご存知ですか?屋根材としては立派な本瓦の形状をしていますが、緑色の瓦を葺いているのでしょうか?
いいえ、実は大阪城の屋根は金属屋根なのです。それも、銅板を使った銅瓦で葺いているのです。

そう聞くと、なぜ緑色なのか疑問に思われる方もいるかもしれません。銅製品の身近なものには10円玉や銅なべがありますが、大阪城の屋根はずいぶんと違う色をしていますね。この色の違いには、銅特有の性質が関係しています。
銅本来の色は10円玉のような赤みがかった褐色です。大阪城の屋根も、銅瓦が葺かれたばかりのときは、光沢のある赤褐色できらびやかなものでした。

銅屋根が緑色になる理由

屋外に置かれた銅の表面は経年のうちに雨水により酸化し、緑色の「緑青(ろくしょう)」と呼ばれるサビが発生します。大阪城の屋根が緑色なのは、銅瓦がこの緑青におおわれているためです。

通常、金属にとってサビは劣化のサインになりますが、銅の緑青はそれとは正反対のメカニズムを持ちます。銅屋根の場合、銅瓦を葺いてからおよそ20〜30年で屋根全体が緑青の皮膜におおわれるようになります。緑青は水や酸に溶けることなく、しっかりと銅表面に付着し、長年にわたり銅内部を守るのです。

このようにして大阪城の屋根は緑青によって守られているのですが、改修に際してその美しい色を保つために、驚くべき方法が使われていました。

波乱に満ちた大阪城の歴史

大阪城の屋根の修理についてお話しする前に、少しこのお城の「歴史」と「いま」に触れておきましょう。

1583年に豊臣秀吉によって創建された大坂城(※)は、外観5層の大天守に黄金の装飾をふんだんに用いた非常にぜいたくなものであったといわれています。しかし、1615年の大坂夏の陣で落城、廃墟となりました。その後、徳川幕府によって再建されますが、度重なる落雷のため、18世紀末には天守閣をはじめとする建物の大部分が焼失してしまいます。

それから長い時を経て昭和の時代に入り、大阪市民たちの寄付により大阪城が復興されることになります。豊臣時代の乏しい資料を元に、当時としては最新工法である鉄筋コンクリート造のお城が1931年(昭和6年)に竣工しました。これが現在にいたる大阪城なのですが、戦災による被害を乗り越えながらも経年による老朽化が進んだため、1995年から97年にかけ「平成の大改修」が行われることになりました。

※「大阪」の地名表記は明治以降のものですが、それ以前は「大坂」でした。そのため、明治以前に建てられた城を「大坂城」、以降のものを「大阪城」としています。

シンボルの緑の屋根を守るために

「平成の大改修」では、建物の老朽化への対応や耐震補強、屋根の修理などが施されましたが、特に屋根の修理は、既存の銅瓦の再利用を目指し繊細で丹念な作業が行われました。竣工から60年以上経過した大阪城の屋根の銅瓦には、鳥のフンが大量に付着していたのです。工業用の掃除機で吸い取れば、効率よく汚れを取れます。しかし、工業用掃除機では吸引力が強すぎて、銅瓦の表面の緑青まではがれてしまいます。

そこで、お城のシンボルである緑色を残すために、家庭用の掃除機を使って1枚1枚汚れを取り、さらに、1枚ずつたたいて形を整えていきました。その数、なんと5万枚以上。気の遠くなるような作業の末、まるでトルコ石のように美しい緑の屋根がよみがえりました。

屋根材の銅瓦は金属屋根の中でも非常に高価で、その耐用年数は100年以上といわれます。昭和の復興から約90年、「平成の大改修」から20年、大阪城の銅屋根はいまも健在です。

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